受験に向けて・・・通信より

 3学年の学年通信を書いています。
その一部を紹介します。受験に対する私の考え方の一端です。

 雪が降りました。
 いよいよ受験勉強本番です。

自分の持っている力をさらに伸ばす時期です。
 結果がでるか、でないかに関係なく、とにかく、自分を伸ばすために自分の全てのエネルギーを使うときです。

 仲間とともに、力を尽くすこと。まさに君たちの集団の力が試されます。
 繰り返しますが、結果を出すことが第一ではありません。
 君たち自身が、これまで、個人個人の力を結集して高めてきた集団力を、さらにパワーアップさせる時期なのです。
 自分さえよければよい、他人を蹴落としても自分が上に立つ、というような思考しか持てない人はいませんか。
仲間と一緒に学ぶことに嫌悪感を感じている人はいませんか。君たちの中にそんな人はいないと思います。

 オウム真理教というカルト集団が松本市や東京の地下鉄で猛毒のサリンという薬剤をばらまき、多数の人を死に追いやった事件がありました。
 そうした事件を引き起こした人たちは、麻原というオウム真理教の代表に「自分だけがかわいがってほしい」という一念で人を殺すことも平気でやってしまいました。
 彼らは、受験勉強にはたぐいまれなる力を発揮した人たちです。しかし、彼らは孤独でした。
 なぜなら、「仲間とともに学び成長していく」という「人」として最も大切なことを忌み嫌っていたからです。

たとえ、自分が思うように勉強できなくとも、

☆仲間の成長を素直に喜べる人になりましょう。
☆仲間の頑張りを素直に認められる人になりましょう。
☆仲間の苦しみに共感できる人になりましょう。
☆仲間とともに苦しくとも笑顔で生活できる人になりましょう。

「高校受験」という矛盾に充ち満ちた制度の中で、君たちが自分を成長させていくことができるとしたら、それらのことがしっかりと胸に刻める人になったときだと思います。

勉強方法に悩む人がいたら、手をさしのべましょう。自分が悩んでいたら、仲間に助けを求めていきましょう。
先生や親だけが、君たちを救ってくれるわけではありません。君たちのそばには、いつもクラスの仲間がいるのです。
 そうしたことが、当たり前にできるのが、本来の人間の集団です。
君たちが二年生になったばかりの頃に、校長先生が「当たり前のことを当たり前にできるような人になろう!」と訴えました。
「当たり前のことを当たり前に」とは、まさにこのことを言うのです。
集団がそうであってこそ、自分の良さ(個性)が発揮できます。クラスの仲間をけなす人は、仲間に距離を置かれてしまうのは仕方のないことなのです。仲間に欠点があっても、仲間として認めることによって、初めて自分もその一員になれるのだ、ということを自覚しましょう。
 それは、社会に出て、集団の一員として活動するときは、最も必要な「学力」になることでしょう。